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哲学
16

人生のBGM

2019.11.21

高校生のとき、当たる心理テストがあると友だちが言った。

「まず紙に1から5を書いて」
友だちは嬉しそうに、わたしを含む3人に指示をし、わたしたちはいそいそと単語帳やプリント、教科書の空白部分に数字を書き込んだ。

 「1と3の横に、異性の名前を書いて。2は自分の知っている人の名前。4と5は頭に浮かんだ曲の名前を書いて。本当これやばい、まじで当たるから。書いた?」
「えー! ちょっと待って」
「直感でいいから。考えちゃだめ」

鞄を膝にのせ、足を組んで大人っぽく微笑む友だち。色白で、鼻も高く髪もさらさらで、嫌味の無い笑顔ができる彼女は、きっと大学に入ったらモテるだろう。

「できた? じゃあ答えを発表します。1が、あなたが恋している人。3が、恋してたけど、叶わない人。2が幸せをもたらしてくれる人!」

2人は、わあっと声をあげ、きゃあきゃあ言いながら手で自分の回答を隠している。最近気になる彼の名前を書いたのだろう。

「それでね、4が愛している人を表す曲で、5があなたの人生を表す曲なんだって。どう?」

ふと目をやると、友人らは感動のあまり青ざめていた。

愛している人を表す曲と、人生を表す曲がドンピシャだったようだ。切ない気持ちをもてあましながら、相手をけなげに思い続ける歌詞が自分の人生と重なるらしい。

友だちは「やっぱり」とか「やば・・・」などと言いながらうっとりと宙を見つめている。

 

ちなみに、わたしは「カノン」と書いた。
パッヘルベルのカノン。

 

歌詞ないじゃん。

人生にBGMは必要だ。
なぜなら、人生には意味が必要だから。テーマが必要だから。物語が必要だから。
毎日を前に進めるために、人生に深みを与えてくれるような詞が必要だ。言葉をかみしめて、物語に奥行きを与えて、テーマを見すえて、わたしたちはまた生きていく。
困難や苦しみの前で、ぽきりと折れてしまわないように。

心理テストも必要かもしれない。
わたしたちの行為に、意味を与えてくれる。
わたしは父親の名前を書いたけど。

 

あれから十年近く経った。
彼女たちの人生に、あの時の曲はまだ流れるだろうか。

 

 

実はカノンが好きじゃない。

卒業式など式典の度にかかるあのもったりとした曲。友だちが急かすからうっかり書いてしまったが、あれがかかるだけで、ウソみたいな式典の世界が、もっとウソみたいになる。起立したり着席したりするわたしたちはフィクションを演じているみたいだし、記念講堂はやけにのっぺりとしている。埃立つ校旗、むっとした生暖かい空気、友だちの制服の匂い、ニセモノみたいな花、そして、頭の奥がぼうっとする緩慢なカノン。

カノンは全てを等し並みにする。
全てを作り物にする。

 

ちゃんちゃらちゃんちゃらちゃらららららら。
ちゃんちゃらちゃんちゃらちゃらららららら。

 

人生のBGMにするには、意味づけが足りなすぎるよ。

 

 

先日、仕事先の先輩が、横浜の老舗バーに行ったときの動画を見せてくれた。

野毛と伊勢左木町に挟まれ、風俗店に囲まれた古いビルの中にあるそのバーは、壁一面に光り輝く酒瓶が並んでいて、怪しい博物館のようだ。
古ぼけた調度品、きらきらした酒たち、高熱が出た夜に見る夢のような空間。
1950年からあるバーなだけあって、ジュークボックスもあるらしい。

そんな場所で先輩に、いつも明るい仕事仲間のAさんが、珍しく将来の悩みを吐露し始めたらしい。よほど苦しんでいたんだろう。

 

「そうやって真剣な悩みを聞いてたんだけど、アース・ウィンド&ファイアーのSeptemberがずっと流れてて、全然深刻さが出なかった」

 

先輩が言った途端に、あの有名なフレーズと、ウソみたいなミュージックビデオが目の前に蘇った。カラフルで、チープで、宇宙の果てみたいな場所で、みんなが幸福そうに踊っているあのミュージックビデオ。底抜けに明るいわけではないのに、ディスコミュージックなだけあって、ノリのいい曲だ。たしかに、人生相談にはそぐわない。深刻さの極北にある。

先輩にバーの動画を見せてもらう。ニセモノの宇宙船みたいなテーブルで、Aさんが真剣な表情で「別にお金があるとか、ないとかじゃなくて・・・」などと話している。そのバックグラウンドに爆音でSeptemberがかかる。

 

それを見て、思わず笑ってしまう。
Aさんも笑っている。

彼らの音楽が、わたしたちの意味づけされすぎた物語を吹き飛ばす。
意味づけなんてしなくていい、ここには意味なんてない。
音楽だけがある。

 

わたしたちは、前に進むために、時に意味を背負い込みすぎてしまう。自分の描いた物語に飲み込まれそうになって、泣いてしまう。だけど、Septemberを聴いていると、べたべたと貼り付けていた意味づけのシールがゆっくりと、自然に剥がれていく。意味が剥がれれば、わたしたちはただそこに存在するだけだ。そこに意味もなければ物語もない。そんなもの、はじめからないんだよ、ウソなんだよ、意味なんかなくたって大丈夫だよ。

あの曲は、全てを等し並みにする。全てをニセモノにする。
だがそれは欺瞞ではない。
逃避ではない。

世界はもともと、そうなのだから。

 

いや、そんな難しいことを考えなくてもいい。
Septemberはやっぱり何年経っても名曲で、わたしたちをどこか遠くへ誘ってくれる。
もしかしたら、嫌いだったカノンも。
たまには、そんな曲を聞き続ける時があってもいい。

 

だから、どうしようもなくなった日。
Septemberをかけて、人生を踊ろう。

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