シャベル両手で持つ
2020.06.12
初恋と道徳は両立しない。
哲学は長い長い歴史の中で、人に惹かれるとは、恋に落ちるとは、どういうことなのかを考えてきた。
人の様子をおかしくさせる恋というもの。
自己が揺さぶられ、破壊され、すりつぶされてしまう経験。
このような自己の危機を「初めて」経験する際は、とりわけおかしなことになるのは当然である。
たとえば、自我が保てなくなる。アイデンティティがわからなくなる。集中力がなくなったり、過度に高まったりする。ビルから飛び降りても生きていられるような気もするし、相手の挙動ひとつで今すぐ死にたくなったりもする。
そして、ついに道徳というものが消滅する。
グループ魂の「ラブラブエッサイム’82」という曲がある。このバンドは、劇団大人計画の俳優がメインで構成されており、歌詞はほとんど気鋭の脚本家である宮藤官九郎が担当している。どのアルバムも面白く、長年のファンなのだが、特にこの曲の歌詞はすばらしい。
軽快なテンポで、初めて恋心を抱く少年の独白をボーカルの阿部サダヲが歌う。だがその内容はひどく自分本位。彼は、大好きなあの娘に少しでも近づくために、彼女のおばあちゃんが病気になることを願う。できるだけ寄り添えるように、彼女の愛犬が失踪することを望む。
彼は、彼女の幸福と不幸を心の底から祈るのだ。
恋はなぜひとを近視眼にしてしまうのだろうか。
彼女とたった数分一緒にいるために、彼女の愛犬を逃がしてしまう。彼女にたった一言声をかけるためだけに、家庭が複雑になるように呪いをかける。
恋は目を見えなくさせるが、同時に強烈なパワーをわたしたちに授ける。恋するひとに会うために、足が棒になるまで歩いたり、たった10分言葉を交わすためだけに新幹線に飛び乗ったり。この曲も思えば、大好きな彼女の家のまわりを自転車でぐるぐるまわる描写から始まっていた。
*
ある夜、友人とラインで、恋する相手に「なんでもやってあげちゃう」ことについて話していた。相手のことを常に考え、何か少しでもアクションを起こすことができれば、なんでもやってしまうのだ。恋はなぜだかそれを可能にする。
ちょうど恋で様子がおかしくなっていた友人は「死体埋めちゃう」と言った。
死体を埋める。
たしかに「なんでも」の究極だ。
ここで注意したいのは、「なんでもやってあげちゃう」ことは、必ずしも相手が望んでいるとはかぎらないという点である。より正確に言えば、「わたしが思う、相手に関われることはなんでもやってあげちゃう」のである。
さらに言えば「死体を埋める」のは、相手が望んでいる、望んでいないにかかわらず、相手のためにあまりならない。何かをきっかけにして誰かを殺めてしまった愛しいひと。だが、友人は相手を叱責することなく、愛しい人をうっとりと見つめたまま、一緒に死体を埋めに行く。
献身的とか、自己犠牲的とか、そういうことではない。恋はひとを近視にする。愛しいひとだけをひかり輝かせ、それ以外は漆黒。その他大勢の人々や、自分の行為は全て闇の中へ溶けていく。道徳や、もしかしたら一番大事かもしれない相手への思いやりまでも。
だから全然、献身的じゃない。ロマンチックじゃない。相手に夢中なんだけど、相手のためにはならないこと、時には相手の不幸まで望んだりする。奇妙な感情だ。
そんなことを考えていると、友だちは続けてラインを送ってきた。
「シャベル両手で持つ」
きゃっとかわいい声をあげて、シャベルを両手で持ち、土をかぶせる愛しいひとをじっと見つめる友だちを想像する。究極的な状況。そんな中でも愛しいひとに、かわいいと思われようとする。そのけなげさ。自分勝手さ。
汗だくで穴を掘る愛しいひとに、彼女は後ろからポカリを差し入れたりするのだろうか。
もちろんこれは想像だし、友だちの冗談だ。だが、「恋」という多くの人々を悩ませ、哲学者たちの頭も痛めてきたふしぎなものの一面を、言い当てているような気もする。
相手を尊重したいのに、相手を傷つけようとする。相手と社会の中で生きていきたいのに、社会が見えなくなる。
ひとを求めることと、ひとを呪うこと。両者は裏表なのかもしれない。
先日仕事先で友だちに会った。思い出したようにこの話をすると、彼女は「シャベル両手で持っちゃうよね」と言って、両方の手にそれぞれシャベルを持つ動作をした。
あれっ、両手にそれぞれ持って掘るってことだったのか。
わたしの中では、彼女が両方の手を一つのシャベルに添えて、うっとりと愛しいひとを見つめているイメージだったのだ。掘る姿もカッコイイ、みたいな。
彼女は満足そうに微笑みながら、肩甲骨をぐるぐるとまわすような、気持ちの悪い動きで、土を掘る真似をする。バレー部で鍛えた肩が、たくましい。
その場に居合わせた上司が、ぎょっとした顔で、何してるの?と聞く。
恋をしてます。
哲学の研究と、哲学を実践。いろんな所で“哲学カフェ”を開催中。永井さん曰く“哲学カフェ”とは、「普段当たり前だと思っていることを改めて問い直し、人と一緒にじっくり考え、ゆっくり聴きあい、じりじり対話する場所です」。好きなのは、詩と将棋と植物園。
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